明治からの伝統をブランド化 久能山石垣いちご

温暖な気候や山がちな地形を活かし、積み上げた石垣による促成栽培が古くから盛んな静岡・久能地区。イチゴ狩りで賑わう観光農園の老舗が、伝統農法を守りつつ新たに取り組む販路拡大とは・・・

農Bizムック「イチゴで稼ぐ!」より転載

写真・文/市原 純

2021/11/11

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斜面を利用してコンクリート板を積み重ねて培土を入れ、イチゴ苗を植え付ける石垣促成栽培。山内屋では2段だが、大規模なハウスでは7~8段積み上げ、板は冬至の陽当たりに最適な角度としている。苗は高設栽培で(かつては山梨の富士山裾で栽培)、三番花まで利用。収穫後は全株植え替えとなる。

120年前から作られていた石垣いちご

徳川家康を祀る久能山東照宮のふもと、海岸沿いを走る国道150号線沿いの斜面に、延々とイチゴのハウスが建ち並んでいる。清水から静岡にかけてのおよそ8kmにイチゴ園が連なるこのエリアは、〈石垣いちご〉そしてイチゴ狩りのメッカとしてよく知られ、「いちご海岸通り」とも呼ばれる。

石垣いちごの起源は120年前の1900(明治33)年までさかのぼる。久能山東照宮宮司・松平健雄氏がアメリカから持ち帰った苗を、転任に際して宮に仕えていた地元の川島常吉氏へ授けたのがことの始まりで、久能地区の玉石垣に植えられたその苗に赤熟した実が結し、のち栽培につながったと言い伝えられている。

山の斜面を利用して60~70度に積み上げた石垣に苗を植える栽培法は、冬場の日射量を最適化でき、石垣が蓄積する輻射熱で冬期でも根が冷えにくいというメリットがある。石垣いちごは日本における促成栽培のさきがけであり、久能地区独自の栽培法として長いこと培われてきた。

1923(大正12)年には、収穫ごとに積みかえの手間がかかる玉石垣にかわり、コンクリート板を積む方法が編み出され、栽培の省力化がはかられた。こうして石垣いちごは1939(昭和14)年ごろまで隆盛を極めたが、戦争で一時中断。戦後復興され、1966(昭和41)年には観光客向けのイチゴ狩りがスタートした。

久能地区には現在およそ50軒のイチゴ農家があり、その多くがイチゴ狩りを主体に営農している。

老舗「山内屋」の挑戦

山内屋は久能山東照宮の麓の鳥居前、参道脇に店を構え、山の斜面に3ヵ所ある農園で約2万株のイチゴを栽培している。

ハウス内にはコンクリート板を2段積み、温度管理は化石燃料を使わずビニールフィルムの開け閉めにより調整し、沢から引いた水による潅水を行うなど、伝統的な農法を頑なに守っている。

一方、2015年にリニューアルした山内屋の店舗は、カフェを併設し、採れたてのイチゴを直売するほか、自家製ジャムやソフトクリーム、スイーツの販売も行う。

農園で栽培するイチゴは、ほぼすべてが「章姫」。「久能早生」の育成者である静岡市の萩原章弘氏が1985年に「久能早生」と「女峰」を交配して作った大果品種で、酸味が少なく甘味が強く、細長い円錐形をしている。

久能山東照宮参道途中にある「石垣いちご発祥の地」の記念碑。左には「章姫」育成者の萩原章弘氏の碑も建てられている。

積み上げられたコンクリート板。鋸歯状の切れ込みにイチゴ苗を植え込む。培土は数年に一度入れ替える。

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